top of page

第12回:空気と疫学と算盤

2024年12月18日

2020年10月20日から連載開始した「疫学と算盤(そろばん)」は、昨年末、通算第36回を数え無事終了しました。36回分のコラムはご承知かと思いますが、当WEBサイトにてダウンロードできる電子書籍となっています。2024年1月からは、コラム続編の「続・疫学と算盤(ソロバン)」がスタートします。筆者・青木コトナリ氏のコラムとしては、日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボのWEBサイト連載の「医療DATA事始め」から数えて3代目となる新シリーズの開始です。装いを変え、しかし信条と信念はそのままに、“えきがくしゃ”青木コトナリ氏の新境地をお楽しみください。 

                     (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也


“えきがくしゃ” 青木コトナリ氏の 

「続・疫学と算盤(ソロバン)」(新シリーズ) 第12回:空気と疫学と算盤


贅沢(ゼイタク)

昨今では11月の初旬は秋というよりもむしろ残暑の続く夏といってよく、紅葉の季節はむしろ11月後半か12月初旬の方がそれらしい。我が家一行が紅葉(もみじ)狩りに京都駅の隣にある東福寺駅に降り立ったのは師走になってからのことである。お寺までの道のりもまた木々が色づいていて風情があり、外国からのお客さんがアマチュアカメラマンとなってたくさん写真を撮っている。これもまた今の日本らしさを象徴する景色である。


境内に入ってみると普段は見ることの出来ない龍吟庵なる建築物が特別公開されている。現存する中では日本最古の方丈建築だという。係りの人によれば本来11月に閉めるところ紅葉が未だ美しいので公開時期を1週間延ばしたとのことであった。その意味ではラッキーなハズなのだが価値がよくわからない我々は、1人1000円で入場した割に観覧は5分で終了しこれは勿体ない、ゼイタクし過ぎではないかとブツブツ文句を言ったりする。価値のわかる人からしてみれば我が家は猫に小判の猫、あるいは豚に真珠の豚だろう。

そもそもゼイタクといえば高級車に乗ったり、ブランド品や宝飾品を買ったりといったようにたくさんのお金を使うイメージだ。そうだとすれば家族3人で3000円というのは散財というには安すぎる。あるいは頭を逆さまにして考えてみるならば、拝観料そのものは500円だったのだし、お寺までの道すがらの真っ赤な紅葉は無料である。こちらの方こそゼイタクな時間を満喫した、というものだ。


今回は空気についてとりあげてみたい。前回が「水」で、今回が「空気」。水はともかく空気の方は無料なので何とも安上がりで、コラムタイトルにある算盤(ソロバン)とは縁遠い。ただ、よくよく考えてみるとその価値は高級車や宝飾品の比ではなく、お金には換えられないものの極めて価値の高い物ではある。何せ生きていくうえで欠かせないのだから。


「空気感染」対策の母

お話の開始ポイント、場所と時間についてはお詫びせねばなるまい。舞台はまたしても1854年、ロンドンのブロードストリート。本コラムは3回連続この場、この時代に留まっている。読者諸氏にしてみたらヤレヤレだろう。そろそろ場所と時間を移した方がよいのは重々承知なのだが、ここを離れる前にスルー出来ない人が実はこの近所に住んでいたのである。フローレンス・ナイチンゲール、その人である。


彼女はブロードストリートに程近いところに勤務している。当時34歳。実際、コレラがピークを迎えた9月1日から9月3日までは看護師としてコレラ患者の看護に駆り出されている。つまりブロードストリート事件に無縁ではないどころか相応に関わっていたのであり、かの有名なクリミア半島に看護師団を引き連れて向かうというお話はこの後である。因みに9月3日はジョン・スノウが井戸水の調査を始めた日でもある。ご近所さんだったので幾度かすれ違っていたりはしていたのかもしれないのだが、残念ながら公式に2人が会ったという記録は残されていない。


ただし、彼女もまたコレラの流行は悪い空気がもたらす、という瘴気(しょうき)説論者であった。もしもスノウと面会する機会があったとしても意見の違いで物別れに終わっただけかもしれない。あるいは瘴気説を少し考え直してみようか、という機会になったかもしれないし、何らか歴史が変わっていた可能性もある。もしも、の話をしても仕方ないか。


さて、ご存知の通りナイチンゲールは「クリミアの天使」という異名が有名で、クリミア戦争のさなか、昼夜を問わず献身的な看護をしたという逸話で知られる。一方で「空気」についても大いに貢献した人であり、向野賢治氏の書籍(「ナイチンゲール」)には“「空気感染」対策の母”という副題が付けられている。氏に言わせればこちらこそが重要で、クリミアの天使という異名には甚だ違和感がある、といったところだろう。ナイチンゲールの言葉も本書の中で紹介されている。


看護について感傷的な目で見ている(まるで自分が天使であるかのように「救う」などと言っている)女性は、当然ながら使いものにならないどころか、それ以上に有害です。


痛烈である。彼女が「天使」などと世間に称されることを嫌っていたであろうことに加え、人となりがよくわかる。自身にも他の看護師にも相当に厳しく、相当に責任感の強い人だ。私たちは人当たりがよい人のことを「優しい人」というが、彼女はそのようなタイプではない。ただ、力強い使命感に裏付けられたこの言葉こそが本当の意味で弱り切った人、死を覚悟した人への真の優しさなのだろう。本人は嫌がるかもしれないが、ナイチンゲールはやはり天使、そう感じられる言葉でもある。


一丁目一番地

一丁目一番地、という言い回しは今どきの若い人には伝わらないらしい。かくいう私も最初に聞いたのはつい数年前のことだ。なんだか古き良き言い回しにも思われ、復興のお手伝いをしたいということでもないのだが、言い回しがしっくりくるときには使うようにしている。ナイチンゲールの書いたものの中でも特に有名な「看護覚え書き」の書き出しは下記の通りだ。


看護のまず第一の規範、看護婦が一番注意しなければならないこと、患者にとって最も重要であり、これなしにはその他のことは放っておいても構わないと言えるほどのもの、それは次のことである。患者の体を冷やさないようにしながら、患者が吸う外の空気と同じくらい清潔にしておくこと。“(「ナイチンゲール看護覚え書 決定版」より)

彼女にとって空気をマネジメントすることが一丁目一番地であったことがよくわかるだろう。コレラ感染に対して瘴気説は間違っていたかもしれないが、インフルエンザであるとか、Covid-19であるとか、主なルートが空気感染という感染症は多い。「他のことは放っておいても構わない」とまでは言わないにしても、換気が大切という思いは看護覚え書きを通じて、広く世界に広がったといえる。一丁目二番地(?)というのか、前述の文章の後に続く「しかし、現在これほどなおざりにされていることが、他にあるだろうか」という“嘆き節”はもはや過去の話であって、解消されたといってよいだろう。


疫学の実践家

ナイチンゲールが優れた看護師であることは言うまでもないが、公衆衛生の実践家としての顔も紹介しておきたい。数学が得意で今どきの言葉を借りるならばゴリゴリの“リケジョ”だ。政治家を動かす際にはしばしば数字を使って説得している。クリミア半島での貢献を客観的にみれば、看護師としての働きよりもむしろ公衆衛生の実践家としての活動の成果の方がはるかに大きい。


例えば彼女が作成に関わった鶏頭図(けいとうず)なるグラフは戦死者と病死者とを色分けして時系列に示したものである。戦死者と比してあまりにも多い病死者は、治療施設の不衛生が起因していると主張し、トイレタリーの大修繕に成功している。恐らくではあるが、数字で示さなければ政治は動かなかったことだろう。また、その後は極端に死者が減っていることも確認されている。看護という仕事の大切さを私もよく理解しているつもりではあるが、クリミアにおいてイギリス兵士の命を最も救ったナイチンゲールの偉業とは衛生環境の整備だったのである。


スノウにしてもナイチンゲールにしても、もちろん数字やグラフによる説得力だけで政治を動かしたわけではないだろうか、数字の力を折衝材料として大いに使っていたのは明らかである。公衆衛生の実践に数字を使う―。スノウが疫学の父であるならば、ナイチンゲールは疫学の母といってもよいのではないだろうか。因みに、母国イギリスで彼女は統計学者としても有名であり、アメリカにおいても1875年に米国統計学会の名誉会員となっている。あくまで優れた看護師、という視点で書かれた日本の小学生向きの偉人伝とはキャラクターがかなり違う。


ただ、個人的には彼女を統計学者に分類したくないと思ってもいる。当時有名だった統計学者フランシス・ゴルトンとは遠い親戚関係にあり、実際に彼女はゴルトンを教授とした統計学の学科を大学に設置するよう働きかけたこともある。そうではあるのだが、ゴルトンら著名な統計学者は大抵において“ギフテッド”、つまり産まれもって授けられた天賦の才(ギフト)を使う「才能ドリブン」、数学至上主義の思想家集団に私には思えるのだ。当時、生物統計という学問分野はなく、一方で統計学者の多くは優性主義者、つまり「才能あるものだけが子孫を残すべき」という自身の考えに人類学的な問題があることさえ気づかないでいたのである(現代の統計学者において優性主義者は皆無だろうことを補足しておく)。一方でナイチンゲールは「課題ドリブン」。目の前に社会的な課題があり、それを解決する慈悲の心が活動のドライバーなのであって、統計学はあくまで手段に過ぎない。統計学者というよりも、やはり疫学の実践者とみるべきではないだろうか。


瘴気の“復活”

細菌学者ロベルト・コッホがコレラ菌を発見したのは1883年のことである。それまで諸説あったコレラの感染ルートについては、水中に存在するコレラ菌の発見によって決着がついたといえよう。瘴気説は完全に否定されたのである。そろそろ本コラムも1800年代のロンドンから脱出しよう。


さて、瘴気という嫌疑は晴れたものの、空気に関連した懸念が解消したのかといえばそうではないことを私たちはよく知っている。むしろ空気を課題として切り取るならば、感染症対策にのみ焦点がおかれていた当時よりも悪化していると見た方がよいだろう。時代が流れ、新たに登場した空気の課題は大気汚染である。


特に日本では高度成長時代があり、その行き過ぎた(?)スピードは公害という“副作用”を社会にもたらしてしまった。川崎ぜんそく、四日市ぜんそく。こうした呼吸器にダメージを与える類のものは工場からの排気による大気汚染が原因であり、いわば現代に復活してしまった魔の空気、瘴気である。より大きな被害は工場地帯にほど近い住宅地で発生しているのだが、大気汚染による被害は必ずしも限定した地域に限った話ではない。例えば自動車が出す排気ガスも大気汚染を拡大させる一因であり、交通量の多い道路に面している住宅の住民が呼吸器障害をもたらすといった研究結果は万国共通である。


また、大気汚染という課題はヘルスケア分野が検討すべき事案ではあるものの、呼吸器疾患の患者さんを治療するための医療費が増大したり、体調不良のせいで貴重な人材の仕事の質を減弱させたりといった意味で経済的損失という見方もできる。これは経済学でいうところの「外部不経済」である。外部経済というのは、例えば道路の拡張工事のために近所の公園がなくなり、車の交通量が増えてしまう、大気汚染や日照の問題で自宅の価値が下がってしまうということだ。逆に交通の利便性が向上し自宅の価値が上がるならば「不」をとって「外部経済」による恩恵を得た、ということになる。


ところで日本の経済学者、宇沢弘文の名前はご存知だろうか。佐々木実氏による宇沢の評伝のタイトルは「資本主義と闘った男」であり、資本主義がもたらす弊害を生涯、批判し続けた。自動車の外部不経済を取り扱った著書「自動車の社会的費用」はベストセラーとなっている。私たちは殊更にタバコの存在を批判するが、より俯瞰的に社会を見据えてみると、では飲酒はどうなのか、自家用車はどうなのかといった課題とタバコとの課題の境目は案外とクリアでないことに気付くことだろう。「お菓子」だって健康によくないものは多いし、「白米」ですら健康にはよくないことが知られている。私は嫌煙家なのだが、批判の矛先がタバコにばかり集中しているのは案外と合理性のないポジショントーク、自己矛盾に無自覚なだけなのかもしれない。


ご存知の通り、高度成長期がもたらした各地の公害問題は少しずつ鎮静化に向かっている。「水」の話に戻せば、濁っていた川が昔のような水質を取り戻し、鯉を泳がせていたりもする。川崎市では先般、成人ぜん息患者医療費助成制度を廃止することを決めたという。しかしながらその一方でPM2.5という言葉は小学生でさえ知っており、大気汚染の問題は“続行中”だ。また空気の問題を広くとらえるならば、大気汚染のみならず花粉症であったり、二酸化炭素削減の話や放射性物質の話まで広く関わってくる。


真のゼイタクとは

さて、真のゼイタクとは何だろう。おいしい空気を吸って、美味しい料理を食べる。支払った価格がゼイタクを決めるものでもなく、鍋を囲んだ家族の団らんもまたゼイタクというものだろう。水道水を飲料水として飲める国は多くないとも聞く。そして何より戦争がないこと、犯罪に巻き込まれる可能性が低いこと、言論の自由が担保されていること。そのように俯瞰してみると、世界の人口80億人の中で、こうして日本で産まれ日本で暮らしていることはどれだけゼイタクなことだろうと思えてくるのである。

然るに、環境の維持にはかなりのコストが掛かることを私たち日本人はもっと意識した方がよいのかもしれない。特別拝観料の1000円に目くじらを立てている場合ではない。富士山の入山料を1人4000円に値上げするというニュースに賛否両論があるようだが、これだって同じだ。富士山は美しくあり続けて欲しい。


因みにその空気を缶詰にした「富士山 空気缶 夢の缶詰」なる商品がアマゾンのサイトにて売られていたのを見つけたのだが、その価格は4980円。うーん。これはやっぱり、ちょっと高すぎやしないだろうか。


「続・疫学と算盤(ソロバン)」第12回おわり。第13回につづく


【参考図書】

「ナイチンゲール 「空気感染」対策の母」向野賢治著(藤原書店、2022)

「ナイチンゲール看護覚え書 決定版」ヴィクター・スクレトコヴィッチ編(医学書院、1998)より

「自動車の社会的費用」宇沢弘文(岩波新書、1974)

「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」佐々木実著(講談社、2019)



Comments


bottom of page