2020年11月2日
“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム
「疫学と算盤(ソロバン)」 第2回:PCR検査に思
不覚にも入院することになってしまった。急な腹部の激痛で金曜日の夜に会社から救急車で運ばれ、一旦は収まったことから帰宅したのだが、翌日には今度は腹部痛ではなく39度近くの高熱となり病院へとんぼ返り。休日ということでコロナの検査も出来ず、とりあえずは“隔離病棟”、要するに個室に通されることになった。
診断名は逆行性胆管炎とのことで、咳症状ものどの痛みも無い。コロナとは関係も無さそうではあったが、コロナの陰性がわかるまでは個室で過ごすようにということで、しかも部屋からは外へ出てはならない。つまりトイレもシャワーも完備している、入院施設としてはおよそ高級の部類に入る個室であった。 日曜日になって若い看護師さんに伺ったら1日7万円の差額が発生するらしい。そういえば入院する際に医師に「個室に入ってもらいますけど、個室を希望されますか?」という質問をされて「はい」と答えてしまったことを思い出した。看護師さんも「よくわからない」としながらも「患者さんにも負担して頂いているようです」と言うので、そうなると1週間も入院すると治療費以外に差額ベッド代で7万円×7日、50万ほども余計に掛かるのかと思い、余計に熱が出たような心持ちであった。 翌々日に検査の結果、コロナ陰性が判明し今度はそそくさと4人部屋への移動となった。このご時世、個室での入院を希望したところで、どうやらコロナ対策で使っている以外の個室すら空きは無いらしい。 思いがけずコロナの検査をすることに相成ったのだが、読者諸氏におかれては検査をしていない人の方が圧倒的に多いことだろう。よく「国民全員にPCR検査を受けさせるべきだ」とか、「陰性とわかっても免罪符にはならない」とか言った論調でコロナ検査の是非についてはメディアで大盛り上がりなのだが、それがどういった根拠での意見なのか、何が正しい情報なのかよくわからず、戸惑っている人も多いように思われる。 私はその原因の1つに「検査の精度を表す指標が一本化できていない」ことがあるように思っている。検査の世界にあっても本コラムにつながる「診断疫学」なる分野があって、1つの学問領域であるように確かに奥が深いのであるが、出来るならばもう少し「わかりやすさ」を訴求してもいいのでは、なんてことをいつも思っている。やれ感度だとか特異度だとか、専門家は言うのだが、それがスッと飲み込めるような国民はどれだけいるのだろう。PCR検査は感度50%、特異度99%程度という話を聞いたので、ちょっと具体的な数字を見ながら整理してみよう。
感度50%とは、実際に陽性の人を正しく陽性と判定することが出来るのが50%、特異度の方は実際に陰性の人を正しく陰性と判定することが出来るのが99%ということである。表1では、何らかの事情があってPCRに踏み切る人の2人に1人が実際のところ陽性の人であるという仮定でのダミーの数字である。見て頂くとわかる通り、2人に1人が実際に陽性という状況での感度50%、特異度99%というのは、仮に「陰性」と判定されたとしても実際にはコロナ陽性である可能性が33.6%もあることに他ならない。これがメディアで報じられているところの「コロナ検査をして陰性であったとしても免罪符にはならない」という意味合いである。
表1 感度50%、特異度99%、検査者の有病率50%
ただ、実際のところ「検査する人のうちどのくらいがコロナ陽性なのか」についてはあまり具体的な数字がメディアには出てこない。10月5日に世界保健機構(WHO)のライアン氏は「世界人口の約10%が感染した可能性がある」と述べたそうなので、これを拠り所にして感度50%、特異度99%のサンプルを変更したのが表2である。
表2 感度50%、特異度99%、検査者の有病率10%
検査で陽性と判定された人は84.7%が、陰性と判定された人であっても5.3%が実際にはコロナ陽性ということになる。もちろん、PCR検査陽性とコロナによる感染症罹患とは同一概念ではなく、また、私のように検査を受けざるを得なかった人たちと世界全体と有病率が同じでは無さそうであるし、そもそも日本ではもう少し有病率は小さいようにも肌感覚としては感じられるのではあるが。
ところで、どうしてこうした検査の精度、指標が一本化できないのかという話に立ち返ってみると、一般的には白黒を判定するのは「当たっているのかどうか」にしか興味が湧かないのであるからして、シンプルに的中率でとらえた方がよいという考えの人もいるかもしれない。つまり表1であれば陽性の人を陽性とした500人と、陰性の人を陰性とした990人の合計1490人が全体2000人の中で正しく的中しているので1490÷2000=74.5%の的中、表2であれば同様にして(500人+9410人)÷10000人=99.1%。シンプルである
しかしながらクジ引きのように的中率を計算できない事情があって、この事情を理解して頂くための参考として用意したサンプルが表3、表4である。診断の分野ではコロナに限らずこのように検査を受ける人のわずか1%であるとか、0.01%つまり1万人に1人しかいないような病気もあるわけで、こうなってくると「的中率優先」にしてしまうと「全員が陰性です」としても99.99%が的中することになってしまう。これでは検査をする意味がまるでない。こうした事情から仕方なしに感度、特異度などが指標として採用されているわけである。
表3 感度50%、特異度99%、検査者の有病率1%
表4 感度50%、特異度99%、検査者の有病率0.01%
なお、疫学分野でもっとも重要視、重宝されている指標は(もちろん時と場合によるのだが)、陽性的中度である。表中でいえば「有病率」の上の方、つまり表1ならば98.0%、表2ならば84.7%がそれで、勘の良い方はお気づきだと思うが、陰性的中度というのもあり、こちらは「陰性を的中」させている方なので有病していない方が的中、つまり表1ならば(100%-33.6%=)66.4%、表2ならば(100%-5.3%=)94.7%となる。 また、表3、表4を違う視点で眺めて頂くと「陽性と診断されても実際に陽性であるかははなはだ怪しい」ことが見てとれるだろう。特に1万人に1人のような稀な病気の診断では陽性と診断されたとしても実際に陽性であるのは0.5%、つまり99.5%は陰性であるということもあり、それはとりもなおさず診断科学の限界でもあるのだが、そうとは知らず「稀な病気の診断で陽性になってしまった」ということで大いにショックを受けてしまう人はかなり多くいらっしゃるに違いない。この精神的ショックは全く無益でしかも検査する側が適切にコミュニケーションすれば防げるものだ。これを何とかしたい。
これだけ検査の精度が残念な状況をお伝えすると「なんだ、診断科学って大したことないや」と思われたとしたら、それはおよそ妥当な認識ではある。それでもなお科学の進歩がもたらした現代の診断技術の偉大さは我々人類としては誇るべきことでもあろう。PCR検査(正確にはRT-PCR検査)を1つとってみてもそのベースとなる技法であるポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、PCR)はごく微量のウィルスを検査できるまでにDNA増幅させる技術であって、ペストやコレラが流行した時代では到底、思いも付かない最先端の技術である。 この画期性は先日ノーベル化学賞を受賞した「ゲノム編集」と並んで現代の生命科学分野における3大発明の一つと評されているほどのものである(もう1つは「モノクローナル抗体」)。因みにこの技術を発明したキャリー・マリス博士は1993年にノーベル化学賞を受賞している。博士によると、彼女と車でデート中に突如、思いついたアイデアだったらしいのだが、話の真偽は定かではない。ただ、何よりこうした栄誉ある受賞に際しては大抵、その苦労話の数々や、あるいは類い希なる才能のどちらかを聞かされるのが常である中で、「アイデアを思いつくこと」の本質を突いた博士の言い放ちぶりは爽快でもある。 私と同じように共感する人が多いのか、それともあまのじゃくな学者先生もあるものだ、というキワモノ見たさの人が多いのかはわからないのだが、学術書とは全く違う視点でマリス博士の生き様は書籍にもなっている(「マリス博士の奇想天外な人生」ハヤカワ文庫)。 さて、検査指標をわかりやすく一本化するにはどうしたら良いのだろうか。私は表中で示した「有病率」で統一させてはどうかと提案したいのである。すなわち、検査の結果、「クロ」と判定されたら、例えば検査者全体の有病率を1%~10%と推定するのであれば表3と表2の中間に“正解”があるので「あなたが陽性である確率は33.6%~84.7%です」と。逆に「シロ」と判定されたら「あなたが陽性である確率は0.5%~5.3%です」と。 こうすれば天気予報のように大衆、世論にはわかりやすく、しかも只今メディアで様々な論争がされているような行き違いも起きないと思うのだが、どうだろうか。もっとも、これはコミュニケーション方法の話であって、検査の精度が向上するに越したことはない。9/30の報道では、北大病院で感度90%の検査方法に成功した、とあったので参考までに表1~表4と同じ体裁で表記してみたのが表5である(有病率は表2に揃えてある)。この位まで精度が向上すれば確かに「クロならば陽性、シロならば陰性」という、ヒトの直感とかなり一致するので表現の工夫などはあまり議論の必要もなくなるだろう。 表5 感度90%、特異度99%、検査者の有病率10%
さて、私の逆行性胆管炎であるが、入院後6日目で炎症はほぼ治まったため、無事に退院することが出来た。隔離病棟で過ごした1日70,000円も患者負担としては発生しないとのこと。やれやれである。因みに、個室からの移動の際には無料の4人部屋にするのか、それとも差額ベッド代7,000円にするのか、と問われたのだが、その違いの説明もよく理解出来ないまま、迷わず7,000円の方を選んだ。結果的には7,000円×4日=28,000円の差額ベッド代となったが安いものだ。なにせ当初は50万円の差額ベッド代を覚悟していたのだから。「疫学と算盤勘定」。本コラムのタイトルを自ら体感する入院劇であった。
(了) 第3回につづく
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